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見合い

 見合いはもともと下級武士や町人の間から生まれたものです。現在の見合いのように、第三者の仲立ちによって、お互いまったく面識のない男女が引き合わされ、初めて会うという形は、江戸時代以降のことといわれています。将軍や大名、公家などは、人間と人間の心の結びつきというよりも、家と家との結びつきを重視しました。ですから、当事者たちの意志とは関係なく、家長の意志によって婚儀が進められたのです。また、見合いが身分の低い庶民の間で多く行われたのは、当時はそうでもしなければ、結婚する相手が見つからなかったからかも知れません。
 当時の見合いは、今日のように出会い・交際の始まりという感じはなく、婚姻決定の最終段階ですから、その場または直後に返事を出さなくてはいけませんでした。承諾の合図も、女性がお茶を運んできて、相手の男性がそれを飲めば承諾とか、男性が持ってきた扇子などの持ち物を残して帰れば承諾といった、男性優位のものであったようです。


結納

 婚約のシルシをあらわす代表的な儀式に「結納」があります。本来、結納の結は「結いの物」であり、二つの新しい家が婚戚関係を結ぶために一緒に飲食する酒と肴を意味しています。その酒と肴を相手方に納することによって「婚姻」が成立するわけです。
 古い婿入り婚の時代では、婿が結納を持って嫁方に行き、嫁の両親と初めて正式に顔を合わせ、婿入りしました。これは昔、結婚が女性主体であり、女性が家にいて、男性が訪れるのが習わしであったからです。しかし、近世以降、結婚が当人同士の意志よりも、家と家の関係が重要視されるようになると、嫁入り婚が普及し、婚姻にいたるまでの種々の儀礼がもたれるようになりました。そして、結納品を受け取ることによって、初めて婚約成立の証明とみなされるようになったのです。もし結婚不履行の場合、これを証拠品として訴訟ができるわけで、いってみれば、結納は婚約契約書の代わりなのです。


披露宴

 結婚披露宴が不可欠になったのは、村の外から嫁を迎えるという、今日のような嫁入りの形式が取られるようになってからのことです。それ以前の村内婚では、披露は婚姻の成立より後に行われることが多く、結婚しても妻は実家に留まり、夫が妻の方へ通う婚姻形式でした。何年か経てやっと夫の家へ引っ越しする際に初めて披露を行ったのです。披露はきわめて簡略化されたものが多く、宴会が催されないこともありました。
 昔の村は共同体により生活が成り立っていたため、村の人間同士は互いに知り尽くしていました。ですから、わざわざ結婚の承認を受ける必要はなかったのです。しかし、村の外から嫁を迎えるとなると、そうはいきません。未知の人々が初めて出会うとなれば、お互いの親睦を計る必要がありますし、共同体に入るには人々の承認を求めることも不可欠でした。
 現代ではこうした地域の共同体は希薄になり、都会における結婚披露宴では、学校の先輩、会社の上司、同僚などに対する披露が主になっています。ですが、これも、新郎・新婦、双方が社会的環境から承認を受けるという意が含まれていることに変わりはないようです。


  結婚記念日

 結婚記念日を祝う風習は欧米から伝わったものです。日本では、明治27年に明治天皇が結婚25周年目の銀婚式をされたことをきっかけに、徐々に一般に広がっていきました。
もともとは、5年目、15年目、25年目、50年目、60年目と5回ぐらいしかなかったのですが、次第にエスカレートしていき、ついには75年目のダイヤモンド婚式にまで到達してしまいました。これらの名称は時代とともに変化しており、国や地方によっても違うことがあるので、同じ年の記念日でも、いくつも名称を持っていることがあります。
 1年目 紙婚式     15年目 水晶婚式
 2年目 綿婚式     20年目 磁器婚式
 3年目 革婚式     25年目 銀婚式
 4年目 書籍婚式    30年目 真珠婚式
    5年目 木婚式    35年目 珊瑚・翡翠婚式
 6年目 鉄婚式     40年目 ルビー婚式
 7年目 銅婚式     45年目 サファイア婚式
 8年目 青銅婚式    50年目 金婚式
        9年目 陶器婚式    55年目 エメラルド婚式
 10年目 錫婚式     60年目 ダイヤモンド婚式(イギリス)
 11年目 鋼鉄婚式    75年目 ダイヤモンド婚式(アメリカ)
 12年目 絹婚式  13年目 レース婚式  14年目 象牙婚式     年数がたつほど効果で貴重な品の名がつけられていますが、行き着く先はやはりダイヤモンドなのでしょうか?